ひふみん(加藤一二三さん)は14歳7ヵ月で史上初の中学生棋士となった将棋のプロです。
この最年少記録は藤井聡太さん(14歳2ヵ月)に破られるまで、62年間も守られ続けた偉大な記録だとか!
一二三(ひふみ)という珍しい名前から「ひふみん」という愛称で呼ばれています。
将棋界で最高齢の中戦ってきた「ひふみん」がついに引退しましたので、昔のエピソードや可愛すぎる伝説についてまとめてみました。
「ひふみん」のプロフィール!なぜ引退したの?
【名前】加藤一二三(かとう ひふみ)
【誕生日】1940年1月1日
【プロ入り】1954年8月1日
【棋士番号】64
【出身】福岡県
【段位】九段
ひふみんが引退した理由は将棋界のある規定によるものなんです。
将棋には順位戦というものがあり、名人を頂点として強い順から「A」「B1」「B2」「C1」「C2」という5つのクラスに分類されます。
最初プロ棋士は「C2」からスタートして、勝ち上がっていけば「C1」➡「B2」➡「B1」➡「A」と上がっていけるのです。
しかし、逆に成績が悪ければクラスが落ちることもあり、ひふみんは一番下のクラスのC2にまで落ちていました。
さらにそのC2のクラスで成績が悪ければフリークラスという順位戦に参加できない棋士になるのですが、このフリークラスは定年制であり、60歳になると引退扱いとなり、プロ棋士を辞めなければいけないんだとか。(勝負の世界は厳しいですね・・・。)
2017年6月20日に、C2クラスからフリークラスへの降格がかかった一局に「ひふみん」は敗れてしまい、事実上の引退となってしまいました。
参考:藤井聡太はポナンザに勝てる?人気の秘密は?連勝記録や対局料について
「ひふみん」は昔めちゃくちゃ強くてイケメンだった!
そんな「ひふみん」も昔はめちゃくちゃ強かったと言われています。
神武以来(じんむこのかた)の天才と呼ばれ、デビュー後4年連続で昇級をして18歳という若さでA級(八段)になり、この記録は60年たった今もなお破られていないんです。
2001年には通算1200勝を達成し、これも史上3人目というとんでもない記録だとか!
知らない人も多いかもしれませんが、「ひふみん」は名人になったこともあります。
名人といえば地球上で最も将棋が強い人間で、「ひふみん」がいかに偉大な棋士であるかお分かりいただけたのではないでしょうか?
しかも実力だけでなく、ルックスも 超イケメンだったんです。
どこかの俳優さんみたいですね。
将棋では天才と呼ばれ、女の子には(多分)モテモテとか羨ましい。。。
「ひふみん」の可愛すぎる伝説とは!?
「ひふみん」には数々の伝説があるので、いくつかご紹介したいと思います。
・将棋盤を割ったことがある。
・対局当日の朝にトースト八枚食べちゃう
・対局中にミカンを3つ食べちゃう
・対局中にはちみつをチュウチュウ舐めちゃう
・一手に七時間かけたことがある
・感想戦で二歩
・将棋の解説では、解説せずに一人で納得
・一手一分で指さなければいけない将棋でもトイレに行っちゃう
・番組で女流棋士が10秒しゃべった後、7分以上一人でしゃべり続けた
・対局中に動き回りネクタイが相手の頭に直撃
・名人戦で詰みを発見して「ウヒョー!!」と叫ぶ
・詰将棋のヒントを求められ「まず王手をします。」
参考:詰将棋が藤井聡太を強くした!コツや3手詰め&ギネス級の問題も
・乾杯の音頭を担当した際、「乾杯」の合図でマイクの方を高々と上げる
・対局中には自分の駒だけでなく、相手の駒もチョンチョンしちゃう
・チョンチョンしすぎて、相手が怒ったこともある
・対局が終わった後もチョンチョンしてる
・感想戦でもチョンチョンしてる
・対局の残り時間が気になり「あと何分?」と聞いちゃう
・聞きすぎて記録係が切れちゃう
・持ち時間一手30秒ルールでも「あと何分?」って聞いちゃう
・一番最初の師匠を逆に破門しちゃう
・その後、後輩の弟子になっちゃう
・マイストーブを対局室に持ってきて、対局相手に向けて対局開始
・鼻毛処理のピンセットを持ち歩いているのに、常に鼻毛が出ている
僕はこんなにたくさん伝説を持つ「ひふみん」が大好きです!
62年間以上にもわたるプロ生活本当にお疲れさまでした!引退しても将棋の解説やイベントで活躍してほしいと思います。
ということで今回は偉大なる将棋棋士「ひふみん」についてまとめてみました。
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