山本kid徳郁「死去」で嫁や子供は?弟子の堀口&泣けるエピソードも

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山本kid徳郁さんといえば、総合格闘技イベントのHERO’Sでミドル級の王者になり、世界最高峰の舞台であるUFCでも激闘を繰り広げた総合格闘家ですね。

163cmという小柄な体格で、体重も他の選手よりも軽いということから、(計量は前日のため)試合当日は10kg以上重い相手と戦うというハンデを背負ってきた選手でもあります。

山本KID徳郁 嫁 子供

「自分より小さな相手とは戦ったことがない」

そんな状況下でも体格差に関する言い訳を一切せず、相手をなぎ倒してきた姿は本当に感動的でした。

そんな偉大な格闘家が2018年9月18日に病気で亡くなったので、もっと山本kid徳郁さんの情報を知りたいと思う人も多いことだと思います。

そこで今回は山本kid徳郁さんの嫁や子供、さらに弟子の堀口恭司さんや昔の泣けるエピソードについてまとめてみました。

山本kid徳郁の死去で嫁や子供はどうなる?

山本kid徳郁さんが胃がんで亡くなられたことは格闘技ファンだけでなく、全国の人々に衝撃と悲しみを与えたことだと思います。

そして誰よりも衝撃や悲しみが大きかった人物といえば、当然「家族」ではないでしょうか。

実は山本kid徳郁さん、過去に2度の結婚を経験し、4人のお子さんを授かっているそうなんです。

まず、一度目の結婚相手がこちらの女性。

山本kid徳郁 嫁 子供

ファッションモデルのMALIA(マリア)さんですね。

そしてMALIAさんとKIDさんの間にお子さんが2人生まれており、

長男・・・海鈴(かいり)君
長女・・・愛郁(あいく)ちゃん

という名前のようです。

ちなみに、KIDさんの体にあるタトゥーにはこの二人の名前が刻まれており、驚くべきことにお子さんから「お父さんを守ってあげるから体に僕たちの名前を入れて!」とお願いされたんだとか。子供からタトゥーのお願いって意外過ぎますよね。(笑)

残念なことに、KIDさんのお金遣いの荒さや浮気などが原因でMALIAさんが愛想を尽かし、離婚に至ったという噂があります。

そんなMALIAさんもKIDさんの死には、

「急なことに頭も心も整理がつきません」

と放心状態になっており、別れたと言えどもKIDさんを失ったことは彼女にとっても耐え難い悲しみだったということでしょう。

次に、二度目の結婚相手についてお話ししたいと思います。

山本kid徳郁 嫁 子供

この美しい女性の名前は「ゆい」さん。

KIDさんがUFCに参戦していた頃に、頚椎ヘルニアという症状で入院して動けなくなっていたところ、

毎日毎日欠かさず付き添ってくれていたそうです。

そんな彼女の優しい姿を見たKIDさんは、「この娘となら一緒になりたい」と思い、結婚を決意したんだとか。

そして生まれた子供は二人!

一人目・・・千(せん)ちゃん
二人目・・・虎(とら)ちゃん

女の子で「虎」という名前はインパクト強すぎですね。(驚)

ちなみに、KIDさんが亡くなったことについて、妻である「ゆいさん」はコメントを発表していないんだとか。

あまりに辛いことがあると、そっとしておいてほしいという心境なんだと思います。

お子さんの千ちゃんと虎ちゃんも、まだまだ小さいのでお父さんの死に実感が湧かないかもしれませんが、偉大なお父さんの子供ということを誇りにして立派に成長してほしいですね。

山本kid徳郁と弟子の堀口恭司とのエピソードとは?

山本kid徳郁さんは日本人の軽量級で最強の総合格闘家とも言われる「堀口恭司さん」の師匠として知られています。

弟子である堀口恭司さんは、自分と同じように小さい体格で大きな相手をKOしていくKIDさんに憧れて弟子入りを志願したんだとか。

山本kid徳郁 堀口恭司

山本kid徳郁さんは、試合でこそ鬼の形相で相手を叩きのめしてきましたが、弟子や後輩には自分の子供のように真剣に向き合って愛情を注ぎ、惜しみなく技術を教える優しい男だったようです。

そんな山本kid徳郁さんは、(今となっては)遺言とも取れるようなコメントを堀口恭司さんに残していたという情報もあります。

「もっと自分がバチバチの頃(全盛期)に(堀口恭司と)戦いたかった。今は(堀口恭司と)スパーリングしていても壊されないように気を付けながらやっているから。」

このコメントは、自分の力は全盛期よりも衰えており、今は弟子の堀口恭司に壊されるほど実力が逆転している、ともとれる内容です。

KIDさんらしからぬと言うか・・・次はお前の時代だよとバトンタッチするような言葉だと思いませんか?

もしかすると自分の体調不良を悟ったKIDさんが、次の世代に「格闘技界を任せた」というエールを送りたかったのかもしれません。

実際に最強キックボクサーの那須川天心なんかも、亡くなる前の山本kid徳郁さんから「君なら格闘技界を盛り上げられる」というエールをもらっていたそうです。

そうしたKIDさんの優しさが、亡くなった現在でも多くの人々の心の中で生きている理由なんでしょうね。

山本kid徳郁の泣ける昔のエピソードも!

山本KID徳郁さんは幼い頃から父親の指導の下にレスリングを学び、お菓子なども一切与えられずに「豆」など体に良いものばかり食べさせられていたそうです。

基本的にお祝い事も無く、誕生日プレゼントとも無縁の生活を送っていたんだとか。

ただし、レスリングの試合で勝った時は「何でも好きな物」を買い与えられたそうで、幼いころから戦いに勝つことが自分のメリットになることを脳に叩き込まれたということでしょう。

そんな英才教育を受け続けてきた山本KID徳郁さんなので、プロの総合格闘家を目指すべくジムに入会しても周りのプロを圧倒していた・・・と思ってしまいそうですが、

最初はボコボコにやられていた そうです。

勝てそうな相手にも、知らない関節技をバンバン極められていたんだとか。

山本KID徳郁 泣ける エピソード

自分のレスリングだけではプロの総合格闘家には通じない。

と、思った山本KID徳郁さんは、生活のすべてを練習に捧げることを誓い、仕事も遊びも一切やらずにひたすら地獄の練習に取り組んだそうです。

「プロになるんだったら、ひたすら練習に取り組むのは当然でしょ」と、思った人もいるかもしれませんが、彼はちょっとレベルが違います。

本当に仕事をせずに時間を練習に捧げていたので、電気代が支払えず、

電気を止められた状態でロウソクに火を灯しながら生活していたんだとか。(驚)

いくらプロを目指す人でも、電気代を支払うくらいは働いてもいいでしょ!と考えるはずですよね。しかし、山本KID徳郁さんはそんな時間も惜しんで、辛い辛い下積みを経てプロになったそうなんです。

(ちなみに、水道やガスも止まっていました)

亡くなる直前にAbemaTVの「格闘代理戦争2nd」に出演していた山本KID徳郁さんは、トライアウトで発掘したアマチュア選手に対し、

「どれだけ格闘技に人生を賭けられるのか?」

というコメントを残しています。

一見使い古されたような言葉ですが、KIDさんは本当に人生を賭けて今の日本格闘技界の基盤を作ってくれたんだなぁと、亡くなってから彼の偉大さを再確認させられました。

山本KID徳郁が亡くなる直前に書いた記事!ケンカ伝説がマジでヤバい!
参考:山本KID徳郁が病気で痩せすぎ!引退の噂は?昔の最強ケンカ伝説も


山本kid徳郁さんの試合はもう二度と見ることができませんが、今後は山本kid徳郁さんの魂を受け継いだ多くの選手たちが彼の分まで頑張ってくれることだと思います。

いつの日かKIDさんのようなスター選手が現れることを夢見て、これからの若手選手を応援していきたいですね。

というわけで今回は最強総合格闘家の山本kid徳郁さんについてまとめてみました。

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