村田諒太選手はロンドンオリンピックのボクシングミドル級で金メダルを獲得し、その後にプロのリングで活躍するプロボクサーです。
ミドル級という階級は日本人の体格では難しいとされ、元WBA世界ミドル級チャンピオンの竹原慎二選手を最後に、世界で戦える日本人は現れないだろうと思われていました。
しかし、村田選手は見事にWBA世界ミドル級王者を獲得し、日本中のボクシングファンに喜びと感動を与えたんです!一度は疑惑の判定で敗れたアッサンエンダムを棄権に追い込んでの勝利は本当に素晴らしかったと思います。
ただ・・・村田選手の苦難はそこで終わったわけではありませんでした・・・。
今回は村田選手の「2度目の」敗戦や過去のエピソード、さらに実力についてまとめてみました。
村田諒太のプロフィール!
【本名】村田諒太
【階級】ミドル級
【身長】182.8cm
【誕生日】1986年1月12日
【出身地】奈良県
非常に体格に恵まれていて、強いパンチが武器ですね。
ミドル級最強とも言われたゲンナジー・ゴロフキンですら村田選手の才能を認め 「プロでも素晴らしいキャリアを過ごすだろう。」と言っています。
村田諒太の世界初挑戦まさかの敗戦!再戦はあるの?
そんな村田選手ですが、2018年10月20日にミドル級のタイトルの2度目の防衛戦として、アメリカからの刺客「ロブ・ブラント」と拳を交えました。
結果は圧倒的な大差での判定負け。
相手の完璧すぎる研究の前に、村田選手の武器である右ストレートが完全に封じられてしまい、(技術の)引き出しの少なさが露呈された内容でした。
結果は判定でしたが、むしろKO負けの方が「ラッキーパンチをもらってしまった。次は勝てる。」なんて強がりも出せたかもしれません。
12ラウンドを通じてほとんど劣勢だった村田選手に、日本のボクシングファンのみならず世界的な「村田諒太」の評価は下がりに下がったことでしょう。
しかも相手はゴロフキンやアルバレスといったミドル級の歴代スター選手ではなく、
「かませ犬」
との声も出ていた知名度の低い選手。
そんな相手に手も足も出せないとなると・・・トップファイター達とは「試合すら組まれない」という可能性が濃厚だと思われます。
敗戦後の村田選手はロブ・ブラントとの再戦について「もう一度やればどうにかなるという内容ではなかった・・・」と完敗を認めているので、こうした意識のままだと再戦は無いでしょうね。
ただ、逆に村田選手が「ロブ・ブラントとやらせてくれ!」とボクシング関係者に直訴すれば普通に再戦は行われると思います。
というか、村田選手が歴史に名前を刻むような名王者になるためには、ロブ・ブラントは絶対避けて通れないはず。あと一度負ければ「引退」というところまで自らを追い込み、再戦で勝利して本物のビッグネームと戦ってほしいですね。
村田諒太の過去のエピソードや実力とは?
村田選手は中学生時代、金髪のヤンキーだったみたいです。
担任の先生の後押しからボクシングを始めましたが、なんと 練習がキツくて2週間で辞めてしまったそう。
毎日ハードなトレーニングを行っている現在の村田選手からは想像もつかないですね。
しかし、村田選手は中学3年生から再度ボクシングを始め、高校2年生頃には徐々に頭角を現し、選抜・総体・国体等を制し高校5冠を達成しました。
18歳になるとすでにK-1王者として活躍していた 魔裟斗選手とボクシングのスパーリングをしていたそうです。
魔裟斗選手は当時の村田選手の印象を「18歳の時点で日本チャンピオンより強い。村田君は強すぎてスパーリングするのが嫌で嫌でしかたない。村田君が来る日は憂鬱な気分になった。」と語っています。
現役のK-1チャンピオンにそこまで言わしめるとは、やはり村田選手はただ者ではなかったということでしょう。
参考:プロボクサー世界チャンピオンまとめ!パンチ力や強さランキングも
村田選手は世界チャンピオンになりましたが、今後更なる強敵を倒して僕たち日本のボクシングファンに感動を与えてほしいですね。
ということで今回は村田諒太選手についてまとめてみました。
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